欲望と愛の境ってなんなんでしょうね

フリーセル読んで。
ジョンとか読んで。
番宣とか見て。
ドラマ見て。
また、フリーセル読んで。
ジョンとか読んで。
みたいな、スタンスで、ベムを嗜んでいるワタクシですが。
今の気分として、ワタシがいろいろ言ってもなあ、みたいな気分になってます。
深い作品だから、見れば見るほど言葉を失ってしまっている状態というか。
表面的な言葉で語りたくない、という気持ちが強すぎて、適切な言葉を紡ぎだせる自信がない。大げさなのは承知^^
なので、作品についての感想じゃなくて、今のワタシの気持ちを少々。

ベムの評判が幸いいろんな意味で世間的には良いらしく、色々世間の意見みたいなものも読んだんですけど、その中に
『かめなしは、影のある役が似合う』
みたいなこと書かれてることに、少しだけひっかかりがありまして。
確かに、影のある役は似合うと思うよ。だけどさ、カメなっさんって、影のあることに対して、肯定しているような役をやっているわけではない、ということだけは、はっきりさせておきたいな、と思ったわけです。
影のあることを肯定する、っつーのは、たとえば、影がある自分かっこいい、みたいに思っている人々というか。自ら意図して影を演出しているというか。もっといえば、「影」の部分を他人から肯定されていることを自身で分かっている人というか。ベタなところでいうと、クールなイケメンみたいな。そういうカテゴリ?
でも、少なくとも彼がやった「影がある役」で魅力的に感じるのは、そういう側面が魅力なわけではない、っつーことです。まあ、そういう面もおいしくいただきますが(^p^)でも、それだけでオールオッケーになるほど、顔面偏差値高いわけでもないジャン^^いや自担の顔面マジ愛してるけど^^

じゃあ、どういうことか。
カメなっさんが演じる「影」って、常に光を求めているように見えて。狂おしいほど光を求めて、求めるからこそ、必然のようににじみ出てしまう、という意味の「影」を帯びているように見えるのです。
「光から生み出されるもの」から決して目をそらさない強さ、みたいなものを感じてならない。
それは、楽しいことばかりじゃなくて、むしろ苦しいことが多いかもしれないけれど、その辛さ苦しさの中に見える一筋の希望を信じているっつーか。
だから
「なにもかもひきうけてやろーじゃねえか!!」
というドリボのセリフなんて、まさに「それ」なわけで。ジャニー分かりすぎてる^^本人(カメなっさん)の資質と自分(じゃにー)の嗜好(半裸ペロペロ)をブレンドさせた舞台でお金稼いじゃうじゃにーマジ天才^^

あと、光を求めている証拠に、影の中に、自分の殻に引きこもってる「暗さ」は無くて。
影なのに、むしろ趣としては、眩いくらいだからさ。意思を持って光の中に飛び込んで行って、光を浴び続けることを選んでいるから。
修二だって、ベムだってそうなんだけど、影が単色じゃないんですよ。影の中にさまざまな気持ちが紡がれているから、その影の色に惹かれてしまうというか。目が離せないっつーか。
まあ、こんなややこしいこと思っているのは自分だけかもしれないけれど。
でも、なんか、単純な「哀愁」とかでは、片づけてほしくない、という気持ちが、ふつふつとわいたので、文章にしてみました。
ああ、まとまりがなさ過ぎてツライ^^文章力欲しい^^


あ、これだけは言っておきたいんだけど、映画化は止めて欲しい!!!ドラマはドラマでできることをやるべきだと思うのよ。制約の多いテレビドラマのなかでベムをやる、ということに意義があると思うので。