TOBOTOBO


ワタシは、「全米」とか「ハリウッド」に対して、日本より優れている、とは思っていない。もちろん、そこで勝負する事は、日本だけでのドメスティックな活動よりは、人に知られる機会も多いだろうし、チャンスも広がるということは事実だろう。けれど、それが作品の優劣とイコールだとは欠片も思わない。
どこで作られようと、優れた作品は優れているし、そうでない作品はそうでないから。
だから、じんくんが今回映画でキアヌと共演することも、デルーロと歌う事も、ワタシにとっては、ただ「じんくんがソロで活動する場所がそういう所なんだ」くらいのインパクト、でしかなくて。




ただ、手に入れたかったものを着実に現実化している、という、その点だけ。その点だけが、ワタシが知っている赤 西 仁すぎて、感動して、切ない。




留学した時も、去年の3月以降もそうだけど、じんくんに対するヲタの皆さまの感想が、じんくんへの感想でもありつつ、その中にその方個人の人生観みたいなものが透けてみえて、不謹慎な言い方だけど、非常に面白かったなあ。
その人がどういう風に生きてきたかで、他人の生き方も判断するんだなー、と。ある意味当たり前の事だけど、普通はひとつの事に対して真剣な個人的意見を数多く見られる機会なんてないからさ。(野次馬的なものはあるかもだけど)
じんくんに対してオールオッケー^^な人の意見はともかく、そうじゃなくて、じんくんに対しても、じんくんに対する自分に対しても真剣に葛藤なさってる方の意見を読むと、その方が今までどういう風に生きてきたかが垣間見える、と頻繁に感じたんだよねー。
で、ワタシなんですが、じんくんがとった、2009年後半から2010年前半にかけての心ここにあらずの行動の数々は、彼なりの理由があったにせよ、見ていて気分の良いものではなかったし、そこを肯定する気持ちは今でもない。
けれど、普通の人間ならば陥りがちな
「小さな成功体験を捨てきれずに、過去にしがみつく自分」
という道を選ばずに、
「自分の考えたとおりに生きる」
赤 西 仁に対して、一個人としてのワタシは、どこか共感するとともに、エールを送りたいと思ってしまうのは事実。
だって、普通は
「自分の生きたとおりに考えてしまう」
から。



思い出したのが、2,3年まえの雑誌のインタビューで、彼が
『職業は赤 西 仁です』
と、言っていた事。
あの言葉が、たぶん、彼を表すには一番端的なんだろうけど、今の彼がそれを地で行っていて、その正直さが眩しいとともに恨めしい^^それは、ワタシはやっぱり、彼を見るとき、どうしてもヲタとしての自分が一個人の自分を遥かに凌駕してしまうから。そして、ヲタとしてのワタシは、6人でいる時の彼が、ワタシにとって、一番輝いて見えるし、一番好きだから、なんでしょう。
でも、今のじんくんの行動は、A担でもないのにこんな事言うのおこがましいけれど、ワタシが知ってる赤 西 仁過ぎるくらい赤 西 仁だと思うので、切ない気持ちは心に秘めつつも、精一杯応援したい。これが今のワタシの正直な気持ちです。


とりあえず、大石主税という役は今までの忠臣蔵では、おいしいofおいしい役どころなので、あとは作品自体のクオリティが良いことを願うばかりですよ。
日本の名作をリメイクだからって、リチャードギアのhachiみたくなるのはやめてね^^;頼むよキアヌ!(とか映画会社とかプロデューサーとかモロモロ・・・)
じゃにーず生まれカツーン育ちのじんくんを大事に扱ってくれないと怒るからね!!!!!!






それにしても、なんでキアヌが忠臣蔵なんだろ・・・じんくんとか関係なく、普通に不思議だワン・・・。