花は咲き花は散りまた再び花を咲かせ

もう若くないんだなあ、と思うことは、だいたいマイナスの感情と直列だったりするのですが、たまにはそうじゃないこともあるのです。
若い時は、自分の理想と違うと、対象と全否定して「もういや!」と諦めが早かったんです。何故嫌なのか、どう嫌なのか、どういうところが嫌なのか、そんなことは全然考えなかった。でも、それは全身全霊かけてって言って良いくらいの「好き」があった裏返しでもありまして。
特に、対象が自分の手に届かない芸能人だったりすると、その傾向は顕著でした。
好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで(以下エンドレス)、もうその人に1ミクロンでも関係があるようなことが目の前にあるだけで、心臓止まりそうなくらいドキドキして。
その代わり、その思いが少し温度が低くなると「あ、れ、、、ワタシ、そんなに好きじゃない?」とそういう風に思う自分の気持ちにとまどって、まあその後はフェイドアウトしちゃったり、他の対象に気持ちが移ったりするわけです。
そして、若いうちは、それでその人に対する思いって、終ってしまうんだ、と思ってた。
けど、今、違うなー、と、痛感してるんですよ。
自分でも「ああ、長く生きるって、こういうことかあ・・・」と不思議なんですけど。
まあ、もともとワタシ、リアルでも一回好きになった人を嫌いになることってあまりない、という性格もあるとは思いますが。
それでも、若い時は、好きじゃなくなったら終わりと思ってた。
が、好きじゃないの反対は嫌いじゃないんだなあ、と、今、体で感じる。
その人を当時のように激愛(笑)するわけではないけれど、でも、埋火のように、かつて好きだった思いというのは、全く消えるわけではなくブスブスとくすぶってるもんだなあ、と。そこに何らかの風が吹き込まれたら、またボッと火がついたりするんだな、と。
でも、その火は、自分を全焼しちゃうことにはならず、じんわりと心を暖めてくれるような火。そして、
「あああの人を好きだったことは、間違ってなかったなあ」
と、今と過去の時間の綾を実感してしまうのです。
不思議。本当に不思議。
でも、自分が好きになった人をやっぱり好きで良かった、と思えることって、年をとったからこそ出来ることだなあ、とぼんやりと考えたりするのです。

だから、今も、6人に思うことは、山のように積み重なり海のように深く空のように果てしなく、ワタシという小宇宙をぐるんぐるんかけめぐっているわけですが(大げさ)、それでも、この気持ちがどうなるのか分からなくても、この気持ちは忘れたくないなと思うわけです。どんな気持ちも宝物になる事を知ってるからねえ。
なあ、知ってっか?美しい花は糞から出来てる肥料を養分にするんだぜ。だから、どんなに糞みたいな思いだって、いつか花になるのです。なんてな。