ガチャ歯でしゃししゅしぇしょ!

二階堂とよこーさんが舞台に出ていないことを知った時、jr界が仁義なき戦いである場所だ、ってことを思い出したよね。
あと、コン前に出る出ないがはっきりしてたカツン担って、まだまだ恵まれていたのかな、とかね。いや、全然恵まれていないんだけど^^当たり前のことだっつーの^^
でも、今回の日生舞台に比べたら、ってことね。
ワタクシ、事務所担なんて全然名乗れたもんじゃないけど、それでもあの事務所所属のGとその周辺を見てきて、それなりに事務所のこと分かってたつもりだったけど、まだまだ全然だったね。
今回の日生の出来事で、改めてビュー組とjrの違いを思い知ったというか。
やっぱり、ビューしてたら、どんだけ事実がブラックホールの中だとしても、既成事実でゴリ押ししたとしても、法律に抵触していない限り、存在を一瞬のうちに消すことは、世間的に難しいわけで。理由をこじつけて消すことはあるかもしれないが(怖)。
だけど、jrは違う。
彼らは、本当に一瞬のうちに消え去ってしまう。
昨日来ていたと思ったら、今日から来なくなってしまうことも、いくらでもありうる人間。それがjr内でどれだけ有名であったとしても。
見られなくなって騒ぐのはヲタだけで、世間的には全く問題のないこと。
だから、特に理由も要らないし、去就がはっきりしないまま、いつの間にか見ることがなくなっていたり、とかいくらでもあったわけだし。
頭では分かっているのだけれど、それに直面すると、改めて恐ろしい世界だなあ、と感じる。
そして、そこが恐ろしい世界と知っていながらも、その世界を楽しんでいる自分は、さながらギリシャ時代のコロッセウムで行われた剣闘士競技を見ている観客のような立場なのだろうか、とか。そんなこと普段意図していないとはいえ、改めて自分の中の無意識の残酷さに慄いてしまう。
そして、ギリシャ時代の剣闘士もいろいろな武器を持ち戦いを勝ち抜いたように、jrの彼らも自分の持てる素質を最大限に生かして、生き抜こうとしている。
ビュー組を主に見ているワタシは、うっかり忘れそうになるけれど、彼らだって、大勢のライバルを倒して(結果的に、だけど)、ここに勝ち残ったんだなあ、と思うと、改めてカツンの過去に思いを馳せてみたりする。自分にとっては非実在過去だけど^^
本当は、ビューからがスタートで、その大変さをカツンメンなんか今年は特に感じていると思うけど、jr界っていうのは、それとはまた別の非情さを感じる。徹底したじゃにー一族の独裁政治下におかれている、という意味で。
独裁政治的世界は、劇団だったら演出家の、楽団だったら指揮者の、スポーツだったら監督の、というようにどこでもあることなのだけど、その影響をうけるのが、年端もいかない人間だ、ということが、余計にワタシを憂鬱にさせる。
先日、男性が書くjrについての文章を読んだ。
そこに書かれていたことは、萌えと平行して、男性ならではの視点もあった。平たく言えば、生存競争の場としてみるjr界であり、ビューできなさそうなjrに対しての冷徹な視点。
その視点は非常に興味深かったのだけど、ワタシにはあまりに厳しすぎて、とても真似出来ないなあ、と感じた。
ワタシ、男女の違いとか普段はあまり重視するタイプじゃないんだけど、それでも、男にとって勝ち負けというのは、女性以上に意味があることなんだな、と痛感してしまって。

そして、独裁者の不条理と仲間の嫉妬が渦巻く世界で生き残れるのは、その世界で生き残ろう、と決意した人間だけが、生き残れるんだな、と、裸に桶を持っている画像を見たときに思ったのさ。
あんなの、どう考えても、まともなテンションじゃ出来ないだろ^^
でも、あれをやっちゃえる、というのは、彼らの並々ならぬ「生き残ってやる」という決意があればこそだもの。
それでも、生き残れるとは限らないのが、恐ろしいのだけど・・・。
なーんて、そんなこと考えながら、裸に桶の画像を見ましたよ。
ということで、何が言いたいか、と言うと、横尾さん、ドラマ出演おめでとう!ってことだよ!
で、二階堂はどうなりましたか?