一足飛びは出来ないけれど


小杉がソロライブでカツンの真似をしたというのが本当なら是非見てみたい、と思っているなたりあっす。あ〜、どっかで見れねーかなあ。
そんなワタシが(どんなワタシだ(笑))最近、雑誌を整理しながら過去記事を読んでいて。
頂いた記事もあったので、2001年くらいから今年まで網羅してるんですけど(でも2004、5年は無い。なぜ(笑))6人とも言ってる事の軸が一貫しててワロタ。いやー、笑っちゃうくらいブレがないねー。この人たち。本当、方向性の違いって、今さらなんなの^^みたいな。ま、それは置いといて*1
改めて読んだら、今のワタシにとって、ズドンと響いた言葉があってねー。
去年のぴあでじんくんとコバタケが対談した時に言ってた言葉。


『音楽は僕にとって楽しいものなので、頼るものではないです。』


これ読んだとき、おぉっ!と目を開かれて、そして今のワタシを猛省したのね。
カツンを好きになってから、リアル人生では色々あったんだけど、その一方で、随分カツンに依存してた自分がいたなあ、って。
もともと、ワタシ、ヲタ気質ではないんですよ。コンプ欲とか全然湧かないし。だけど、そんなワタシがカツンを好きになってから、自分人生史上マキシマムにヲタ濃度が高い日々を送っていて。
もちろん、それに対して後悔の一片も無いし、むしろ誇らしいくらい(笑)なんですが。
だけど、やっぱりちょっと反省している所もあってですねー。
どういう所を反省しているかというと、エゴイスティックになりすぎていた反面、精神的に依存していた部分が大きくなってたなあ、と。
いや、もともと、カツンを好きになったきっかけの時期がちょうど自分史上最も精神的にも肉体的にもボッロボロの時期だったので、初めからそうだったじゃん、といえばそうなんですが。
それでも、最初は「楽しい」が依存より大きかった気がするんです。振り返ってみると。
それなのに、いつの間にか好きになる対象に望むことが大きくなって、それだけだったら良いんだけどそれ以上に随分エゴイスティックになって。そしてそれはきっと精神的依存の裏腹で。

なんというか、もう少し、自立したい。
距離を置くとかそういうんじゃなくて、なんというかなー、どんなことがあっても受け止める強さが欲しい。
それはリアル人生でもそうなんですけど。
精神的に自立してないと、何に対しても楽しむ事って出来ないなー、と。
逆に自立してないと、不安感が先にたって、周囲に依存してしまって、周囲に振り回されて、結局疲れるのは自分で、みたいな悪循環にダダはまるっつーか。依存してるだけならいいけど、下手すると依存対象やその周辺からに対して被害者意識持っちゃったりするでしょ。うわあ。楽しくない。そんなの絶対楽しくない。いやあ。
もともとワタシは、何かに対して好きになったらすごく依存する人間なんです。だから余計に意識的に精神的に自立するってことを心に留めて生活しないといけないな、と。
だってさー、ワタシ、これからどんな形態になっても、6人とも見てて楽しい、って思いたい。
何も考えずに音楽に乗って体踊らせ心躍らせたい。
今は何を見ても色々思って難しいかもしれないけど^^
それでも、少しでも楽しい事をキャッチしていきたい。主体的に楽しんで行きたい生きたいイキたい逝きたい(笑)。
ってことをね、この言葉から思いました。とさ。
だから、今度の京セラで5人は5人のステージを自立して楽しんで欲しいし、ワタシはそれを楽しいと思えるステージだったらいいなあ、と思う。
その為には客に依存するようなステージはやってほしくない、とつくづく思う。
そして、じんくんはじんくんで音楽を楽しむなら、「友達」からもう少し自立した方が良いと思うんだぜ。その付き合いを楽しんで継続するためにも。視野広げて欲しいんだぜ。期待してるんだから!
音楽をやる側も見る側も、お互いこれからも楽しまなくちゃ。ふっふー!





If music be the food of love, play on
(音楽が恋の糧であるなら、続けてくれ)

― 『十二夜』 第1幕第1場より

*1:つーか置いとくしかないじゃん、今はさ