僕が望むこと 君が望むこと


昨日から、思考停止している中でも、ずっと「どうしてこうなった?どうして今社長はこんな発言したんだ?」ということを通奏低音のように心の中で自問自答していて。
答えは今も出ない。
ただ、ワタシの想像・妄想・希望がぐちゃぐちゃに混じった今の気持ちを書きます。冷静さはゼロです。



ワタシは今もじんくんがアメリカツアーを決めたこと自体には賛成なのです。
カメナっさんも記者会見で言ってた
「彼はやりたいことがあってやっている。それを無視して、止めてまで一緒にやろうというのはちょっと違う」
という意見にワタシも同意。

ただ、どうして、5と1で分かれる必要があったのか、それが、分からないし、悲しいし、その必要性を感じられないだけ。
なぜなら、アメリカでツアーを行うという事が、ワタシにはそんなに大それた事に思えないから。
少なくとも時間的にはいくらでも平行して出来る、と思うし。
じゃあ、精神的に無理だったのか?というと、それも違うと思う。
社長が記者会見で『生き方が違う』と言ったらしいけど、そんなの当たり前じゃんと。本当の家族だって生き方それぞれあるんだから。でも、家族である事には変わりないじゃない。それと同じじゃないの、とか。赤の他人のメンバー各人を家族論と一緒にするな、と言われそうですが。




友仁を見た方数人のブロガー様が今回の事を受けて、「『生き方が違う』のは、2月のソロ公演を見た時点で分かっていた」とおっしゃっていて。
けれど、それに対してワタシは、2月もロスのも見ていないので、なんとも言えず。だから、今回某所でロス公演の映像を見てみた。
最初に感じたのは
「空間に漂うBUDDY感、パねぇなあ」
ということ。
技術的なことは不鮮明な映像なので分かりづらいんだけど、じんくんがやりたかったことは、結局、すごくシンプルなんだろうなあ、と思った。

『ひとつの目標に向かって楽しく作り上げてきました』
という、この前のじんくんのマニュアルのこの言葉が全てじゃないか、という気がした。
つまり、ソロコンがやりたい、というより、「仲間」と「作り上げる」ということがやりたかったのではないのかな、という印象を持った。
図らずも公演名が表しているとおり、「ゆうじん=BUDDY」達と一から話し合ったステージで客席と一体になる、そこまで含めて、何かを「作り上げる」ことをやりたかったのかな、と。
これは、友仁当時発行された雑誌とかを読んでいて感じたんだけど、じんくんは、今、音楽に限らずすごく創作意欲があるんだろうな、と感じてて。何かを作り上げることが楽しいんだろう、とそんな印象を受ける。ソロコンが楽しいと言ったのは、一人で好きなことするのが「楽」だから、ということじゃないのではないか、と思う。創作者表現者としての根本欲求を満たされたからこそ楽しかったんだろう、と。



じんくんがアメリカでやりたかったのは、シンプルな事をシンプルに出来る場所、と考えているからじゃないのか、とそんな風に見えた。
そして、それを、カツンでやろうとすることは、出来なかったのか、とやはり考えてしまう。


Love your selfの時に、じんくんが機材を持ちこんだ、という記事があったことから(TV LIFE NO.04)考えると、じんくんは彼なりにロクンで出来る可能性を探っていたのではないか。
今回のアルバムレコーディングについてカメナっさんが
『時間は基本、ないから』(オリスタ6/28)
と言っていたけど、そういう状況にじんくんは納得いっていたのか。
創作意欲があるからこそ、今まで以上にもっと時間をかけて作品を作りたかったんじゃないのか。
作品を作る際に、メンバー内で気持ちをちゃんと話し合えていたのか。
相互の意思疎通がとれていたのか。
その為にフォローする人はいなかったのか。
ちょっとした行き違いやフォローの無さが積み重なって、5と1でツアーをする、という結論に至ってしまったのではないのか。
レコーディングに限らず、芸能界の事をワタシは知らないけれど、テレビ中心で活躍していこうとするデビュー組に一番求めれらるのが、効率性・合理性・即興性、だとしたら、何かを積み上げて作り上げていく、というじんくんの生き方は、王道ではないのかもしれない。
でも、その中で、メンバーもスタッフも、不幸とリスクを最小にする選択を必死で模索しようとしたのか。
今の結果だけで、『生き方が違う』というざっくりした言葉で、片付けられてしまうのは、ちょっと乱暴すぎやしないか。



ただ、5人もじんくんも社長すらも、今回の出来事に纏わる発言が善意から出たものだと感じるので、そこはワタシにとって、せめてもの救いになっている。たとえアメリカツアーに関して、社長の発言が3月の時点と立ち位置がかなり違ってるとしても。




そして、もう一つ、ひっかかっていること。
この前じんくんが帰国した時に突撃取材を受けた東スポの記事内に
『撮られてありがたいと思ってるし』
と言ったとあったけど、そういう客観的な社会的認識*1がある人間が、脱退という大きなリスクをとるかな?という個人的な疑問もある。







今回社長の発言が大きく取り上げられて、今後どうなるのか分からないけれど、少なくとも本人の言葉が無い限り、まだワタシの望む未来を夢見ていたい、と思います。ワタシが描く未来と6人それぞれが描く未来が幸せという領域で重なる可能性はまだあると思っています。思わせてください。
ただ、どんな未来になっても、誰が責められるべきでも、謝るべきでもないのは確か。
そして、ワタシは。昨日も書いたけど、どんな未来でも6人を見続けていくことには変わりない。
その代わり、彼ら自身の言葉で喋らせる機会を設けて欲しい。それだけは、心から望む。憶測やウワサだけでなにか言われる筋合いはないのだから。




ここまで、全てワタシの個人的認識だけで話を進めてきましたが、最後は、じんくんの言葉で〆たいと思います。
『今回はたまたまスケジュールの関係で別々の活動になってしまうけど、お互いに、自分の目の前の仕事を全力で頑張ります!それによって、この先オレらにとっていい未来が待ってると思います。』(POTATO6月号)

*1:=芸能人は話題になっているうちが華