「あなた」と「わたし」

ちょっと遅いけど、この話題でも。
あ、水嶋 ヒロとアヤカの事ですけど。
いろいろなカツンブログ様でも話題になってたから、拝見したんですが。様々意見あれど、ワタシが拝見した限り、アヤカの立場に言及した意見が少なかったのが、意外だったの。
というのも、ワタシ、今回の件での総括感想が
「アヤカ大変だなあ」
なんですよ。
まあ、ワタシがヒロ氏には「彫り深い顔やなあ〜」って事と「経歴完璧やなあ〜」って感想しか持ってなかったからかもだけど。
でも、どうして、先の総括感想に至ったかといえば、別にヒロ氏が超イケメンだから他の女の心配がうんぬん、とか、経歴違いすぎとか、ではなく。今回のヒロ氏の一連の発言を聞いてて
「この人、いい人なんだなあ」
って思ったからなの。
で、この場合の「いい人」っていうのはね、
「この人、恵まれた要素と環境で育ってきた故に、計算する必要がなく、空気を読まない&読めない&読む必要性がそもそもない人なんだなあ」って、そういう意味の「いい人」。
そして、
「それ故に、この人の中には、『他』がないんだな」
と。あ、『他』がない事が悪い事ばかりだとは思ってないよ。『他』ばかり気にするより、いい場合もたくさんあるからね。だけど、邪気なく『他』がない場合、往々にして『他』の「傷」に鈍感だったりするんだよなー。なぜなら、
「いい人」だから。
これ、皮肉でもなんでもないよ。ワタシ、あの2人ともに思い入れないし。
今はいいさ。今は、アヤカは、ヒロ氏しか見えてないだろうから。今のアヤカには「自己」はない。「他」のないヒロ氏と「自己」のないアヤカは、すごく上手く行っているんだろう。
でも、もし、ある日、アヤカが「自己」を見つめ出したら、アヤカはとんでもなく苦しくなるんじゃないだろうか。
だって、相手は、「他」が見えてないけど、間違いなく「いい人」だから。だけど、「他」を見ることがないから、「自己」を見つめ出した相手の気持ちを分かる可能性は、限りなく低い。そうすると、「自己」を見つめ出した人間は、どんどん苦しくなるんだ。相手が「いい人」であればある程、自分が嫌いになっていくんだ。
相手がいっそ「悪い人」だったら、思いっきり嫌いになれるし、自分を嫌いになる事もないし、周りもわかってくれる。
でも、相手が「いい人」だったら、嫌いにはなれないし。逆に「いい人」を良く見ることが出来ない自分が悪く思えてどんどん自分が嫌いになってしまう。
そんな風になるんじゃないかなと危惧してしまって。だから
「アヤカ大変だなあ」
って感想が出てきたんですが。
まあ、まず、杞憂でしょうね。こんなこと考えるのは、ワタシが根っからのネガティヴ女だからですね。あはー。




『いい人ね。』
『ほんとにいい人ね。
いい人はいいね』(伊豆の踊り子より)
うわーーーーーーん(>_<)
切なーーーーーーい(>_<)
ばたやーーーーーん!!!!(おま、ノーベル賞作家に向かって、ばたやんて…)