信じるものを形にする、ということ

ワタシは、プロフィールに書いてあるように、『野ブタ。』出、なんですが、野ブタ。で大好きになったものは、カメなっさんだけじゃないんです。
あのドラマのプロデューサーである河野さんも、大好きになったんですね。*1で、その河野さんが今クール手がけてるドラマが『銭ゲバ』なんですけど。この前、その第一回の試写会があったらしくて、そこで河野さんが挨拶をしたらしいんです。で、たまたまその試写会に行った方のレポを拝見したんで、ちょっと引用しますね。*2


実はドラマを数年やってきて始めての経験なんですが、この銭ゲバをドラマ化しようと決意した瞬間から、なんかドキドキしてました。ドラマのことをちょっとでも思う瞬間や、寝るときとかに、銭ゲバを思うとドキドキしてたり。



それは、なぜか考えてみたんですが、このドラマを今やる意義だとか、責任だとかが、ものすごくあるんじゃないかということを、痛感しているからだと思います。



原作を読んだ方は知っているかもしれませんが、いっぱい人が死にます。汚い表現だったり、エピソードだったり、目を背けたくなるような話が展開される物語です。



ただ、僕と、そして岡田(惠和)さんが、なんでこれを「土曜9時」という枠でやろうと思ったのか。



そこに、今の世の中に問うべき何かがあると、お互い思ったからです。



岡田さんと話し合って考えてきたんですが、今、どうやって生きて言ったらいいのか、僕自身もよくわかんなくて、わけわかんない社会で、でも誰もが変えたいと思っていても、どこから手をつけていいのかわかんない。



じゃあどうやって幸せになればいいのか、みんな幸せになりたいと思うんですよね。



じゃあ、幸せになれたらいいのかなと。でも幸せの形は人それぞれだし、正解なんて無いし。



じゃあ、正解の無いドラマを作って、それが自分も含めて、みんなに問いかけられるようなドラマになればいいな、と思っています。(後略)




すごくない?
河野さん、すごくない?
河野さんの顔を知ってる方は分かると思うけど、どっちかといえば一見ひ弱そうな(すみません)お顔をなさってるんだけど、この決意。
本物だ。
とても、強い。
そして、男だなー、とつくづく。本当の意味で。
テレビドラマに愛をもって、取り組んでいないと、こんな言葉出てこない。
腹の底から覚悟を持って、何かをやろうとする男の決意が、淡々とした言葉のひとつひとつから、にじみ出てるよなあ、と。
声を荒げなくても。
大仰な表現しなくても。
心の奥まで響いてくる言葉。
このドラマのうぃきを見ると分かるけど、このドラマ、スポンサーすごく少ないんだよ。多分、内容がかなり際どいから、びびってスポンサー降りちゃった企業もあるみたいでさ。
でも、たぶん、河野さん、そんなことはこれを作ろうと思った時からわかってたと思うんだけど。
それでも、やろう、とする志(こころざし)。
出来ないよ、なかなか。
やろう、とすることと、やることには、天と地ほどの差があるからね。
スポンサー降りるなんて、こっちが思うより、制作側にとっては、かなりのダメージじゃないか、と思うんだけど。
プロデューサーって、そういう方面納得させて、お金調達してなんぼ、ってところ、あるように見えるから。(あ、でもテレビ業界のこと全く知らないので、すべてこれは推測ですが)
それでも、自分の意志を貫く強さ。
ワタシ、きっと、そういうところが河野さんから常々感じられるから、尊敬しちゃうんだよなあ、と前から思ってたけど。
この舞台挨拶のレポを読んで、改めて、その思いを強くしたのね。
そして、そんな河野さんと、カメなっさんが、またいつか、素敵な仕事をして欲しい、と。それが今のワタシの一つの願い、かな。

といいつつ、銭ゲバは、見てません。
見られないんですよ。
ワタシ、人間の「悪意」にスポットライトを当てた作品を見ると、それがたとえ「慈愛」の裏側だ、と分かっていても、客観的に見られなくてね。作品中の「悪意」≒自分の中の「悪意」、という風に重ね合わせてしまうので、本気で体調崩したりするの。昔、「時計仕掛けのオレンジ」を見たときに、まさにその状態になり、一週間くらい本気で体調を崩したことがあったので(めまいや吐き気が止まらなくなった)。だから、今は、ちょっと無理だ・・・。仕事休めないし・・・。嗚呼、ヘタレなワタシを許してください、河野さん。


でも、このドラマから、河野さんの本気が、世間に少しでも伝わればいいな、とは、心から思います。本当に。



こういう上司の下で仕事が出来たら、本当に幸せだろうなあ。
なんてね。

*1:そして脚本家の木皿さんも、もちろん、ね

*2:こういうのがいいのかどうか分からないので、もしダメだったら、削除します