バラバラのようでバラバラじゃない

ここ数日、高木が作詞した「time」をよく聴いている。
最初は、歌詞を読んで「もぅ、と、もう、が歌詞に入ってるなんて、さすがゆとりクオリティ(笑)」とか笑ってたんだけど、何度も聴いているうちに、段々味わい深いなー、と思い始めまして。
まあ我に帰ると何の解決にもなってない歌詞なんですが(笑)。
ただね、この歌詞って、聴いていると、良い意味で力が抜けるんですよ(笑)。
何度も聴いて思ったんだけど、この詞の何が良いか、って、「現実」に対して、フラットに受け止めてるってところだよなー、と。
この曲の主題である「別れ」という「現実」に対して、自分の主観に酷く偏ることなく、「現実」を「現実」として受け止め、その都度対処している(しようとしてる)ところ。
「現実」に対して大げさに嘆く事も、これから先を読むことも、過去をことさら美化して振り返ることも、特にしていない。
自分の感情に溺れるわけでもなく、相手の心情に踏み込むわけでもなく、けれど「現実」から目をそらしたり、誤魔化したりするわけでもなく、起きた事に対して、自分なりの等身大のやり方で受け止め、対処している。
「現実」に対して、すごくニュートラルに向かい合っているように見える。
これってなかなか出来ない事だよなあ、って。
目の前の現実に対しては、何も解決になってないんだけど(笑)。でも、現実を投げているわけでもない。
そして、最後のフレーズ
『愛はそこになくても 笑顔はそこにあって 時計の針は静かに動き出すよ』
ワタシ、ここ、なにげに凄い歌詞だなあ、って感心したんだよねー。
だって、こんな風に思うことって案外出来なくない?
優しい、けれど、現実に対しては冷静な客観性、それが両立してる歌詞。
目の前の現実に対し、自分なりに消化しながら、でも、一歩一歩進んでいくことを、高木なりの言葉で表した詞。
この詞から今ワタシにとって大切なものが学べた気がするわ。
それにしても、高木って、こういう詞が書けるって、目の前の出来事に対しどこか「赦し」の心が常にある人なのかなー、と。まあその思想のベースに「モテ男の余裕」みたいなものがあるのは確かだけど(笑)。
でも、この慈悲深さ、って高木の最大の特徴だろうなー、とは思う。







話は変わるんですが、ワタシ、ドーム公演見ていないから、どうしようかなー、と思いつつも、オリスタ買ったんですよ。この後この公演を総括した記事って出そうにないしなー、なんて思ったしね。
その日、二回読んだ。
そして、今日、もう一回読んだ。特にbook in bookの6〜7p。
・・・これ、どこのブログ?って思っちゃった。
いや、どこかのブログ様が7月16日の公演を見て、この文章を書いたなら全然いいんだけど。
これ、少なくとも「7月16日公演」の「記事」では、無い、と思ってしまった。
いつ書かれたのかな?きっと、社長の脱退見解が出た、7月17日以降なんじゃないのかな?
そうじゃないと、この何かに酔ってフィルターをかぶせたような文章は出てこないんじゃないか、という気がしたの。
この記者さんが言いたいことは分かるし、カツンに対して好意的ではあるんだろうなー、とは思うんだけど。
こういう一種偏ったテンションで「記事」として書かれちゃうと、ちょっと、首ひねりたくなってしまう。
これは記事じゃなく、「あなたの一個人としての見解」でしょ?って。
ただのブログなら、それで全然問題ないんですよ。
でも、個人のブログとは桁違いに大勢の目に触れる文章で、こういう書き方をされると、それが「現実」として、ジワリジワリと無意識のうちに洗脳されてしまいそうで、それが凄い嫌なの。
この文章読んで一番引っかかったのは、今回の出来事を明らかに意識して文章を書いているわりに、その背景を非常に単純化している所。
あのさあ?そんな単純な問題かな?
いや、ワタシ実際知らんけど(笑)。
だけど、こうやって記事にされると、その視点が標準化しそうで、怖い。
お願いだから、無理に結論づけないで欲しい。
結論を記事として確定しないで欲しい。
結論を先に決めて記事を書くのって、きっと楽なんだろうな、と思う。
実際、記事を書くとしたら、そのほうが起承転結はっきりして、記事自体の内容は締まるのかもしれない。
けどさ、なんつーか、さきに結論ありき、で書かれてるのがあからさまだと、しらけるんだよね。しかもワタシ、まだ、ドーム公演見てないし。いや、まあ、見てないワタシがこの記事見たのがいけないのかもしれないけど。それにしてもなあ。
もう少しニュートラルになっても良かったんじゃない?少なくとも、この記者の人は16日の時点では、こんな風に思っていなかったと思うんだよね。そしたら、その気持ちを正直に書いてくれれば良かったのに、と思う。無理にドラマティックにする必要なかったじゃないの?


実は、マキア感想もあげよう、と思ってたんだけど、ワタシの書いた文章も相当酔っててさあ。
別にワタシ一個人の感想だから、公共の福祉に反していなければ、全然オッケーだと思うんだけど。それでも、なんつーか、このオリスタ読んだ後、「なんだかなあ・・・」と冷めてしまった。
カメナっさんのマキアのインタビュー、読んだ後、胸の痛みで発狂しそうになったくらい苦しくなったんですけど。苦しくて苦しくて震える、てな事も言いたくなるくらい苦しくなったんですけど。
が、ふと冷静になったら、「これどーよ?」みたいになっちゃって(笑)。
なんつーか、あまりにも酔いすぎじゃねーの、とか思っちゃってさ。自分の文章が。
だから、もうちょっと落ち着いたらあげたいなー、なんて。あげるあげる詐欺になるかも、ですが(笑)。



というわけで、「現実」の受け止め方について、「Time」を聴きながら、ぼんやりと考えていた数日でございました。