仕様書はよく読んで

じんくんマニュにあった『方向性の違い』、について、皆様色々書かれているのを読んで、ワタシが思ったことを書きたいと思います。
これは、ワタシの勝手な解釈ですが、『方向性の違い』というよりは、「方法性の違い」なのかな、という印象があります。
芸能界という場所での生きる「方法」の違い、レコーディングなどの創作活動「方法」の違い、グループに対する愛情表現の「方法」の違い、など、など・・・。
これは、多くの方が仰っていたけれど、方向性なんか最初からバッラバラじゃね?と。うん。ワタシもそう思う。そこがカツンの良さだと思うし。そして、一見バラバラに見えるカツンが、実は各々の違いを尊重できている。くさい言い方をすれば、そこにカツンメンバーの絆があるように思うのです。今も。
そこにブレはないように思えるのです。

周囲のスタッフに、「方法」の違いを理解してあげられる人がどれだけいたか。その違いを理解しあえる時間があったのかどうか、違いを尊重し具体的に反映したのか。
きっと、時間なんか、ないんだろうなー、とは何となく想像するのです。時間に追われ目の前の事最優先になってしまうのは、よくあることだから。それを責めるわけじゃないけれど。
ただの「方法」の違いだったら、いくらでも解決出来たのじゃないのか、と、そこは、悔しい。
ピアノだって、使っていたら音に狂いが出来るから、調律が必要になる。オーケストラだって、いつも同じ楽器使っていても、ピッチが毎日違うから、最初は音合わせをする。ズレや狂いが出るなんて、物事全般当たり前の事なんだ。
だから、カツンというグループを調律する「方法」や音あわせをする「時間」さえあれば、『方向性の違い』なんて、曖昧な言葉を使う状態にならずに済んだんじゃないのかな、と思う。
カツンというグループにカツン6人の意見がどれだけ反映された「方法」で動いていたのか。
スタッフが勝手に作った、6人がおいてきぼりの「方法」で動いてはいなかったのか。
6人の守備範囲でない部分がデビューして活動が大きくなればなるほど広くなるにつれて、6人の意見の入る隙は小さくなるのは仕方がないのかもしれない。
じゃあ、せめてその「方法」にどういう意味があるのか、どういう理由があるのか、スタッフが6人全員が納得できるように説明する時間はあったのだろうか、とか。
ワタシ個人は、メンバー間の精神的な「方向性」や音楽的な「方向性」の道のりが合わなかった結果ではない、と思えてならない。つーかそこ最初から違うし(笑)。

だから、「方向性」なんて使われた日にゃ、皆様も納得いかないんだろうし、ワタシも納得行かない。
じんくんも『強いて言えば』といってるので、別にこの言葉を使うのが100パーセント適切だと思ってはいないんだろうけど。
要するにですねー、なにが言いたいか、というと、この結果を生んでしまったスタッフは猛反省すべき!ってことですよ。
スタッフが自分達のの「商品」の特性を理解しないで、商売するな!ってこと!
でもきっと「それは仕様です」って言われちゃうんだろうな・・・orz