Listen to me!

自分がもろもろ感じたことなどー。

ついこの前まで、
書留と簡易書留の違いを知りませんでした。
入院料に入院基本料と医療費とが区別されていると知りませんでした。
遺言がオールマイティーでないことを*1知りませんでした。
ワタシはとっくにいい歳でいい大人になっているはずなのに、社会性および社会的知識と言うものが著しくかけているのだな、ということを最近知りました。
まあ、知識を全部知っている人間なんていないので、それは特別恥じ入ることでもないのかもしれませんが。
社会性、というものは、自分で意識して身に着けていかないと、下手すると死ぬまで身につかないものなのだなー、ということを最近の自分および自分の周囲での出来事を通じてしみじみと感じているのです。
その年齢立場に応じた社会性というものは、やっぱり、最低限身に着けておかなくちゃいかないんだな、ということも、つくづく感じさせられています。
「知らなーい」で困るのは、結局自分なのだな、と。


ここのところ、酒は飲んでも飲まれるな、的話題が世間で話題になっているわけですが。そういうものに対して、精神論だけで解決しようとしても、それはちょっとしんどいことではないのかな、と感じていたりするのです。「社会人としてどうなんだ?!もっとしっかりしろ!」だとか、逆に「お酒での失敗なんかよくあることさ!平気平気!」だとか、見方は色々あると思うけど。けれど、それはただのその事実に対する「感想」であって、その事実からの「学び」にも「対策」にもなっていないんじゃないのかな、それでいいのかな、と思うのです。いや、別にそれで済むんだったらいいけれど、結局個人の裁量に任されるという結論で終わってしまうんじゃないか、と。
本当にそうかな?
個人の問題なのかな?
もちろん、ワタシたち一般人が有名人に対してどうこうは出来ないわけです。物理的には。せいぜい話のネタにするくらいで。だけど、彼のそばにいる人間、もっといえば彼を使ってお金を稼いでる人間は、彼の「社会性」を養う義務があったのではないか、とワタシは強く思うわけです。
それは知識面での「社会的常識・良識」という面もそうだけど、それ以上に大事なことは、今、彼が置かれている立場に対して、その状況を客観視できる環境を意図的に作るべきだったのではないか、と。
例えば、若いうちから芸能という狭い世界にいたら、一般人との会話なんてあまり機会が無いでしょうし。また、その常識を知る機会も少ないと思うし。そうじゃない機会を作ることを単純に「本人の人脈力」だけに任せるのはかなりいろいろな意味で危険じゃないのかな。その力がある人は特に意識することもなく、自分のおかれた立場を客観的に見た上で、その上で、自分のストレスをどうやって発散させるかの方法も身につけていくと思うの。だけど、それが上手に身に着ける機会がなかったり方法を知らなかったりした人は、自分だけの常識で自分なりの解決方法を作り出していくわけで。で、それが、「社会的に」なにも問題ない場合はいいけれど、そうじゃない場合もありえるかもしれなくて。「本人的には」問題なくても「社会的に」問題になるかもしれない可能性って秘めてる場合も多いだろうし。でも、自分の常識の範囲が社会的に偏っていたとしても、本人の常識の範囲内だから、それしか方法を見つけられない、ということは大いにありえることだ、と思うの。
じゃあ、どうすればよいのか、といわれると、ワタシも全くもって専門家ではないので、具体的に例をうまくあげられないんだけど、例えば、メンタルヘルスケア的なものを、きちんとプロの人から受けさせる機会を定期的に設ける、とかね。メンタルヘルスというと、病気チックでなんだか大げさなんだけど。そうじゃなくて。もっと気軽な感じ。一般人でも全然当てはまるような形。
最近読んだ本で

「聴く」の本

「聴く」の本

という本があって。この本は「コーチング」をなさっている方が書かれた本。あ、コーチ、といっても、野球のコーチとかじゃないよ(笑)。うぃき先生によれば、

コーチングを一言で言うと「人を育てるための一つの方法」

でもって、色々種類はあるんだけど、その中で

「メンタルコーチング」ではコーチングを受ける側の情報の整理を手伝い、異なった視点からみるチャンスを与えるなどして、気づきを待つ。

んだそうだ。そんでもって、カウンセリングとの違いは

カウンセリングは癒しまたは治療が目的であり、クライアントの目標達成を手助けするコーチングとは性質が異なる。
コーチングは安定した精神状態をプラスマイナスゼロと考えた場合、プラスの状態の時に機能する。


だそうです。ワタシも今知った(笑)。だから、今をマイナスに捉えてる人よりもむしろ何の問題もなく社会的に過ごしている人こそ、役立ちそうな技術なんだろう。

でこの本、別に具体的な方法が書いてあるわけじゃなくて、この人が感じたことがエッセイ風に色々書いてあるので、とても読みやすい本。自己啓発的でも成功本的でもなく、ニュートラルに「聴くプロ」としての立場からの経験や意見や提言や方法が提示してあるの。
これを読んで、こういう視点がもっとメジャーになればいいなあ、なるべきだな、と感じてさ。なぜって、人の心の声を「聴く」ことや自分の心の声を「聴く」ことは、出来そうで、出来ないこと。そのわりに、出来てないことを意識しづらいことだと思うから。
いや、まだ、女はいいのよ。「自分の話を聴かれていない」ということに対して敏感だから。その不満を感じているということは、なにかしらそれを解消させようとなんらかの行動に移す可能性が高いから。
問題は、男の人よね。男の人って、「聴かれたい」と自分の心が感じていることを感じていない人も結構いると思うんだよね。あと、この本の中にもあったけど「心の声を聴かれる」ことが、どっかしら「負け」につながるみたいで「聴かれる」ことに対して拒絶反応をもっている人とか。でも、そうすると、男だって人間なわけで、「聴かれない」ことに対して何かしらの形で解消しようと、方向違いの行動をとったりしがちだ、と思うの。まあ、ぶっちゃければ、飲む打つ買うのどれかだろうけど(笑)。
で、話は戻るが、一般人ならそれを少々やっても、よほどの程度の悪質さじゃないと、実生活に影響は及ぼさないと思うんだけど。そうじゃない有名人の場合、それをなかなかやりづらかったりした場合に、もっと裏へ裏へ見えない形で発散させようとしがちでしょ?だからこそ危ない方向へ行きがちなんだろうし。また、そういう危ない道への入り口およびそこへの誘惑は山ほどあるんだろうから。
それを防ぐ意味でも、仕事関係でもない、プライベートの身内や友人でもない、第三者の立場の人間との対話を通して(できれば、プロが望ましいと思う)、自分を客観視する機会を、これから設けて欲しいなー、と某事務所(笑)に対して強く思うわけですわ。
そんなことをここ数日の騒ぎを見ながら思っておりましたです。はい。

*1:遺留分に対してなど