「friends」の不思議

とうとう買ってしまいましたよ!中古だけど(ごめんね・・・)とにかく「friends」が聴きたくて!!

A-album

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この歌になんでここまで自分でもどっぷりはまってしまったのかなあ、と改めて考えてみると、「何者でもない人間が何かになろうとしている(もしくは、ならなければいけない)時のとまどいと、それによって失うこと何かを予感している諦め」のようなものをこの歌とそれを歌うきんきのお二人から感じられる、からかなあ。
ワタシは、このお二人の事を語れるほど知っているわけではなく、お茶の間レベルの知識がないので、あくまで曲とそれを歌っている姿から感じた事なのですが。
なんというか、歌っている彼らの姿が、どこかしらアンバランスな感じがするんですよ。それは、別に彼らが素人くさいとかじゃなく、むしろ、この頃のきんきさんはもう、全然アイドルスタアだったと思うのですが。けれど、そのスタア、であることと、10代の素の彼らとの「隙間」みたいなものをこの曲を歌っている彼らの姿や歌声から勝手に感じてしまって。でもね、決して10代だからそういうものを自然に感じるか、というと、決してそうじゃないんです。10代だから全員が初々しいなんてことは、絶対にないしね。特に、今のjrさんたちからは、この手の感情は一切感じられない。いや、かれらだって、色々大変だったり戸惑っている事はあると思うんですよ。初々しくない、って訳でもない。だけど、でも、こういう気持ちにはさせられる事は、ないんです。何が違うのか、というと、たぶん、今のjrより、当時のきんきさん達の方が、ずっとスタアだった、という事の違いなのかしら、と。テレビ慣れという意味じゃ、今のjrさんたちだって、負けちゃいないと思います。だけど、なんというのかな、きんきさんたちの歌声からは「宿命づけられた人間の覚悟と喪失」みたいなものが、どことなく感じられてしまって。それが、大人になってからの自分でした選択ではなく、少年期に受け入れざるをえなかった人間だけが持つ煌きと哀しみが同時に存在するような。現実に納得していようがいまいが、事実を受け入れているからこその感情、というか。受け入れて進まざるを得ないであることをどこかで分かりつつも、でも、可能性は沢山残されているはずの10代の少年としての素の彼らも消すことは出来ない。そういう意味で、ひどくアンバランスで。で、そのアンバランスさがこの曲にピッタリなのかなあ。というのも、この曲自体は曲に色がない気がするんですよ。とても透明。だから彼らが歌う事で、彼らの存在自体がが鏡あわせのように浮かび上がる、というか。で、その結果としてこの作品にワタシが惹かれまくってしまっているの、でしょうか?
いや、別に小難しいことはどうでもいいんですけどね!とにかく、聴きまくりたい、ということで。
そうそう、びっくりしたのはきんきさんって、最初から歌が上手いイメージがあったんですが、全然そうじゃないですね。下手じゃないけど、今のほうがずっとずっとずっとずっと上手!歌を歌っていれば、自動的に上手になるわけじゃないのは、すまぷさんを見ているとよく分かるので*1、きんきさんはお二人とも良かった事も悪かった事も栄養になさっているんだなあ、と、心からリスペクトですわ。

*1:でも、すまさんはそれがすでに個性。ある意味凄い・・・