意志の感性。感性の意志。

『GLAMOROUS』
読みました。遅せぇ〜・・・。遅すぎますね。いや、言い訳させてもらいますと、ワタクシ発売日に記事は読んでました。
ええ、立ち読みですが!(きっぱり)。あの手の雑誌って重いでしょう。で、通勤帰りに買う気はしないの。自分の時間が合って、手も空いているタイミングじゃないと買えなかったりするのさ。と、本当にどうでもいい情報をぐだぐだ述べましたね。はい。感想です。
あの手の雑誌がどこまで彼の発言を正確に書いてくれているのか、本当に疑問で。それは、別に、あの雑誌に限ったことではないけれど。特に、質問形式じゃなくて、独白形式で書かれていると、本当に、どこまでが彼が独自に発言したのかが曖昧になるんだろうな、と思うと、少しだけ萎える。*1オリコンとか割と正確に再現しているな、と感じるんだけどね。女性誌は、女性誌のカラーに発言が良いように解釈されている気がしないでもない。
ってことを前提に読みました。
なぜ、こんなことを長々と話したか、というと、彼が
『感じたままに表現する』みたいなことをインタビューの中で言っていて。そこに、非常に違和感を持ったものだから。
亀梨和也という人は、何を表現するにしろ、まず自分の中で「こうしたい」「こうありたい」という理想像を掲げて、そこに向かって猛烈に努力する、というイメージがあって。そういうイメージで彼を捉えていたワタシには、
「感じたまま?本当に?」と違和感を覚え。
確かに、この雑誌の写真は「感じる」という表現にぴったりの写真ばかりで。ワタシも好きなんだけれど。だからといって、彼が本能のままに写真に撮られているとは、どうしても思えなくて。これは、全くもってワタシの推測だけれど、彼は、写真を撮られる前に既に「感じる」というコンセプトを聞いていて、で「今日は、「感じている」ように撮られよう!」と心中決意していたのではないか、なんて。そんなことをグチャグチャ思ったりしたりしなかったり(どっちよ!)。あ、でも「一発本番が好き」ってのは、本音かな?彼の場合「感じる」というより、何かを成すための「集中力」が魅力になっているような気がするんだよね。「感じる」ことが魅力になっているのは、圧倒的に仁だから。。。
この写真をとられたのは、髪を切る前で、だとすると1ヶ月くらい前?なのかな?で、記事の取材を受けたのも同時期だとすると、もう、仁の決意は聞いていた後ってことになるわけだ。
最初にこの記事を読んだ時は、まだ、仁のことが分かる前だったから、
KAT−TUNは帰る場所じゃない。』を読んだ時は、なんか寂しい気持ちになったんだよね。ヤツらは馴れ合い集団じゃないから、「戻ってほっとします」なんて言われても気持ち悪いだけだわ、って思うけど、でもこんなにきっぱりと帰る場所じゃない、とか活字になると、軽くへこんだヘタレなワタクシ。
でも、今になって思えば、もう、彼らの間ではあのことは決定事項になっていたわけで。
そう思って読むとものすごく複雑な気持ちに。
『帰る場所じゃない。みんながそれぞれ単独の仕事で成長し合って、前に進んで行く途中で集まる集合場所。』
なんて。
もお。
こいつらは。
ホントにさ。
ったく・・・。
なんだかんだ言って、嘘がつくのが下手なヤツらばっかりだよ。
たかが、女性誌の脚色が入っているであろうと推測されるインタビューにここまで心かき乱されることはないだろう、と、自分で自分にあきれる。
まだまだ、離れられそうに・・・ないや。

*1:雑誌買う基準はインタビュー内容の是非です