fan? fun? funk?

最近、ずっとワタシの定義する「ファン」とは何か、ってことを、考えている。
ファンはタレがいなければ、成り立たない存在。で、そのタレを何らかの理由があって、好きだ、と思い、ファンというものになるわけですが。
ファンとしての思いが募れば募るほど、「自分の理想とするタレント像」が出来てくる。

が、思いが募って、タレのことを考えれば考えるほど「自分の中の理想のタレ像」が出来たのはいいけれど、そこに当てはまらないような形でタレが活動をした場合、ファンはどうすればいいのかな、って。
いや、分かっているんです。
ファンなんて、所詮「ファン」でしかないのだし、ファンとタレなんて、双方向性など最初から互いにない。だから、タレの行うことを全面的に受け入れてあげて称えてあげる人間。それが「ファンの理想の姿」です。
でも、タレを見つめる時間が重なり、重なった分思いが複雑に入り組み、入り組んだ分余計に愛おしさが深くなる一方で、自分の中のタレ像が出来上がってしまうわけで。
で、像が出来上がったことによって、その像の枠に入らないものを素直に受け入れることが出来ない、そんなことが起きてくる。
好きなんですよ。愛しいんですよ。だからこそなんです。
本当は空のように広く、海のように深く、聖母のように温かい心で受け入れたいと思うんですよ。そうすべきだと思うんですよ。
心の股を広げて「ええよ、ええよ、ええのんよ」と受け入れるべきだって分かってるんです。それが正しいファンとしての姿であると。
が、それがワタシには、時に、出来ない。
怖い。
受け入れてしまったら、そこを認めてしまうような気がして、認めてしまうと、その方向に行ってしまいそうな気がして。
いや、認めないわけじゃない。認めないどころか認めまくってるけど、自分の像とは違う。ただ、それだけ。それだけなんだよな・・・。
だから、苦しい。
分かっている。そこにしか道が無いことくらい分かってる。タレント本人が好きとか嫌いとか言っていられない立場だって分かってる。とっくにその方向に舵をきってるって分かってる。
分かってるけど、分かってるけど・・・。



なんてなー☆