男と女とワタシとアナタ


ワタシ、小学生のころから自伝、伝記の類が大っっっ好きで、今もその性質はまったく変わっていないんですが、昨日は、この人のを読んでいました。

流れるままに、愛 (集英社文庫)

流れるままに、愛 (集英社文庫)

この方を若いお嬢さんなんかは知らない方多いのかな?いわゆる小森のおばちゃま、なんだけど。彼女の自叙伝です。後半、3分の2を過ぎてからは、ちょっとだれたけど、それまでは、めちゃんこおもしろかったー!
この本は74歳の時に執筆されたもの。1909年生まれの彼女が人生を振り返っているんだけど、なにが面白いって、まあ男性関係の華やかなことね!*1時代でいうと大正から昭和初期のまさにハイカラさん〜モガの時代がリアルに舞台で、しかも彼女は東京のど真ん中でそれを体現していた人だから、時代の空気がダイレクトに伝わってきて、時代小説としても、とてもワクワクさせられる。当時は若い男女が並んで歩いているだけで注意されるような厳しい次代だったにも関わらず、彼女は(文中にある言葉で言えば)「ズベってた」(今で言う、やりまくってた、の意)人。確かに、今の感覚で読んでいても「おいおい・・・」な面は多分にあるんだけど、でも、それがなぜか憎めない、汚らしく見えないのは、きっと彼女の心の中に女によくありがちな「被害者意識」が全く感じられないから。あともう一つは「欲望」に忠実なところ。言い方を変えれば、後者にまっすぐだから、逆に前者が見られないのかな?あと、欲望にまっすぐ、といっても、彼女の特徴的なところは、欲望のために努力した、結果を出すために何かをしかけた、というのではなく、そのときの「流れ」に素直に乗ってるのね。単に流されてるだけじゃん、という見方も出来るかもしれないけど、流されてるという主体性のなさとは、ちょっと違うのよ。流れてるんだけど、その流れの中で自分を発揮している、というかね。だからこそ、彼女の人生は次から次へといろんなことが起こって(たいてい男性関係絡み(笑))それって、出来そうで出来ないことだよなあ、とつくづく。ワタシは、臆病な人間だから、流れに乗るって、なかなか今までの人生出来なくてさあ。確かに、彼女は当時も今でも倫理的はビッチだけど、計算がないし、打算がないから、清清しいのね。とっても。
ワタシ、自分がそういうことが出来ないのは、清潔だからじゃなくて、中途半端な計算(世間との距離感、とか?)が働いてしまうからさ、無意識の部分から有意識の部分までね。まあ、だからこそカタギとして生きていってるんだから、その計算は不必要なものでもないし、ありがたいものなんだけど。だけど、この本を読んでいると、人生一回しかないのに、自分の欲望からあまりにも目をそらしすぎじゃないか?と自問自答しちゃってね。うーん、これは、ワタシが年をとってきたからこそ、余計切実なのかもしれん。「時間がない!」みたいな(笑)。
この本を読んで、一番感じたことは「流れ」に乗れる素直でオープンな心構えと体の強さを身に着ける!ことの大切さだな。
でも、そう構えた時点ですでに「流れに乗る」っていうのと若干違って来てしまうような気がするし・・・。
うーん、邪念を捨て去るって難しいー!
あと、この本でシャーリー・マクリーンが、とても賢くて良い人なんだな、ということが分かったので、今度はシャーリーの本を読んでみたくなったよ!

*1:菊池寛とか壇一雄とか!